別子銅山 歴代支配人

別子銅山の歴代支配人


初代:広瀬宰平(住友初代総理事)

伊庭貞剛(別子銅山中興の祖)※広瀬宰平の甥


■別子銅山(べっしどうざん)は、愛媛県新居浜市の山麓部にあった銅山である

■1690年に発見され、翌年から1973年(昭和48年)までに約280年間に70万トンを産出し、日本の貿易や近代化に寄与した

■一貫して住友家が経営し(閉山時は住友金属鉱山)、関連事業を興すことで発展を続け、住友が日本を代表する巨大財閥となる礎となった


略歴・経歴(プロフィール)
■広瀬宰平(ひろせ・さいへい)
【1828年~1914年】明治期の実業家。初代住友総理人。別子銅山を近代化し、事業展開の基礎を築いた。1834年、別子銅山勤務の叔父・北脇治右衛門の養子となり、1836年 9歳のとき、叔父に従って別子銅山に登る。28歳のとき、住友家第10代当主・友視の推挙によって広瀬義右衛門の養子となり、38歳で別子銅山支配人となった。その間、仕事の合間に独学で漢学を修め、中国の古典によって事業経営の真髄を学ぶ。住友家の総理人(初代総理事)となり、家と事業を分離した


略歴・経歴(プロフィール)
■伊庭貞剛(いば・ていごう)
【1847年~1926年】住友合資第二総理事。1月5日近江(滋賀県)生まれ。明治12年司法省から住友入りし、大阪本店支配人。1890年、滋賀県選出初の衆議院議員。別子鉱業所支配人を経て、明治33年に住友総理事。鉄剛への進出をはじめ、産業勃興期に住友財閥の基礎を築いた。明治37年、57歳で隠退。79歳で没
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