服部半蔵 歴代当主

服部半蔵の歴代当主


■服部半蔵(はっとり・はんぞう)は、戦国時代から江戸時代初期にかけて松平氏から徳川氏の麾下で活躍した者を指す。代々「半蔵」を通称の名乗りとした服部半蔵家の歴代当主である

■詳細は不明であるが、忍者だったのは初代だけであり、2代目以降は忍者ではなかったとされる


初代:服部半蔵保長
2代:服部半蔵正成
3代:服部半蔵正就
4代:服部半蔵正重
12代:服部半蔵正義


服部保長(はっとり・やすなが)
【生没年不詳】戦国時代の忍者および武将。服部氏の当主。伊賀出身の忍者。いわゆる、初代服部半蔵。伊賀を出て室町幕府12代将軍足利義晴に、続いて三河にて松平清康に仕える


服部正成(はっとり・まさしげ)略歴
【1542年~1596年】戦国時代から安土桃山時代にかけての三河の武将。通称は半蔵(はんぞう)で、服部半蔵の名でよく知られている。松平氏(徳川氏)の譜代家臣で徳川十六神将、鬼半蔵の異名を取る。実戦では、伊賀衆(伊賀同心組)と甲賀衆を指揮していた


服部正就(はっとり・まさなり)
【1565年~1615年】安土桃山時代から江戸時代にかけての武将。正室は松平定勝(久松松平氏)の長女松尾。父の死により、服部家の家督、服部半蔵の名と、伊賀同心200人の支配を引継いだ。大坂の陣で行方不明になる


服部正重(はっとり・まさしげ)
【1580年~1652年】江戸時代の旗本。1600年、関ヶ原の戦いで初陣。戦いの前日夜に徳川家康の陣で酒盛りしながら、父親の初陣話や活躍を聞く。翌日合戦(法螺貝の合図)の前に敵陣に一人で入り、寝込を襲い敵の侍大将の首を取り、家康に届ける。1614年、大坂の役で行方不明となった兄・服部正就(3代目服部半蔵)に代わり、服部家の家督と服部半蔵を襲名する


服部正義(はっとり・まさよし)略歴
【1845年~1886年】21歳で(大服部家)家督を継ぎ桑名藩家老となる。藩主の松平定敬が京都所司代となり、その補佐として正義も京に赴く。慶応4年、鳥羽・伏見の戦いに桑名軍を率いて参戦、明治元年閏4月には転戦した柏崎の鯨波戦争では指揮官を務める。同年9月26日に庄内にて降伏。官軍に身柄を拘束され謹慎処分となるが、明治2年12月、桑名藩の戦後処理の終了と共に謹慎が解かれ自由の身となる。その後は桑名藩の要職を務め明治19年に没した
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