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日本女子大学 校長・学長

日本女子大学の歴代校長・学長


初代校長:成瀬仁蔵 (1901.4~1919.3)※創設者
2代校長:麻生正蔵([1919.4~1931.4)
3代校長:渋沢栄一(1931.4~1931.11)
4代校長:井上秀(1931.11~1946.11)
5代校長・学長:大橋廣(1947.4~1956.3)
6代学長:上代タノ(1956.4~1965.3)
7代学長:有賀喜左衞門(1965.4~1973.3)
8代学長:道喜美代(1973.4~1981.3)
9代学長:青木生子(1981.4~1993.3)
10代学長:宮本美沙子(1993.4~2001.3)
11代学長:後藤祥子(2001.4~2009.3)
12代学長:蟻川芳子(2009.4~2013.3)


■日本女子大学(にほんじょしだいがく)は、東京都文京区目白台二丁目8番1号に本部を置く日本の私立大学である

■日本で初めての組織的な女子高等教育機関として誕生

■女性に教育は有害無益であると考えられていた当時、創設者成瀬仁蔵は著書『女子教育』によって必要性を力説

■創立にあたっては、東京専門学校(現・早稲田大学)の創立者大隈重信が創立委員長となり、総理大臣伊藤博文、学習院院長近衞篤麿、文部大臣西園寺公望、財界人渋沢栄一、岩崎弥之助等各界の重鎮の多大な支援を受け、広岡浅子の働きかけで三井財閥から東京・目白の地(現在地)を寄贈され開校

■開校時は、家政学部、国文学部、英文学部の3つの学部と、附属高等女学校が設置された


■成瀬仁蔵(なるせ・じんぞう)経歴(プロフィール)
【1858年~1919年】日本女子大学(日本女子大学校)の創設者。明治から大正のキリスト教牧師(プロテスタント)であり、日本における女子高等教育の開拓者の1人。現・山口県山口市吉敷大形で生まれた

■広岡浅子(ひろおか・あさこ)経歴(プロフィール)
【1849年~1919年】日本の実業家、教育者、社会運動家。山城国京都(現・京都府京都市)の小石川三井家六代当主・三井高益の四女として生まれる。17歳で大坂の富豪加島屋(かしまや)広岡信五郎と結婚。維新後は実業界にはいり、鉱山を経営。加島銀行設立、大同生命の創業にくわわった。日本女子大の創立にもつくした。晩年に受洗。日本YWCA中央委員
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