任天堂株式会社

任天堂歴代社長


初代:山内房治郎(1889~1929年)
2代:山内積良(1929~1949年) 
3代:山内溥(1949~2002年)
4代:岩田聡(2002~2015年)※胆管腫瘍のため55歳で死去
5代:君島達己(2015年~ )


山内房治郎(やまうち・ふさじろう)経歴(プロフィール)
【1859年~1940年】日本の実業家・工芸家。現・任天堂の創業者。1889年9月23日に、「京都市下京区正面通り大橋西入る」の地にあった空き家を買い取り、その地に「任天堂骨牌」(山内房治郎商店)を創業。自らの工芸家としての腕を活用し花札の製造販売を始め、今日の世界的コンピューターゲーム企業「任天堂」の基礎を築いた


山内積良(やまうち・せきりょう)経歴(プロフィール)
【1883年~1949年】山内房治郎商店2代店主。旧姓は金田。初代の山内房治郎が男児に恵まれなかったので、婿養子になった


山内溥(やまうち・ひろし)経歴(プロフィール)
【1927年~2013年】任天堂創業家出身で3代目社長。本名は山内博、50歳のときに「溥」へと改名する。京都市生まれ。早稲田大学法学部に進学するが、2代目社長の祖父の急死によって、状況は一変。1949年、大学を中退し、22歳の若さでトランプ・カルタメーカーの3代目社長に就任した。山内はゲームウォッチでヒットを飛ばすと、さらに家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」を発売。これまでにみたことのないゲーム機は市場で熱狂的に迎えられ、ソフトと同時に爆発的に売り上げを伸ばした。その後もゲームボーイ、スーパーファミコンとハード機を次々と投入。任天堂は日本だけではなく、世界的なテレビゲームメーカーへと成長を遂げた。2002年5月に山内は引退し、3代続いた一族経営を断ち切った


岩田聡(いわた・さとる)経歴(プロフィール)
【1959年~2015年】任天堂4代目社長。1959年12月6日生まれ。北海道札幌市出身。東京工業大学工学部卒業。 ハル研究所入社。 ハル研究所社長を経て、任天堂に。2002年に任天堂代表取締役社長。2013年に任天堂オブアメリカ取締役会長(CEO)兼務
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