神田まつや

神田まつや歴代店主


初代:市蔵(福島家の初代)
2代:
3代:小高政吉(小高家初代)
4代:小高賢次郎(小高家2代目)
5代:小高登志(小高家3代目)
6代:小高孝之(小高家4代目)


■神田まつやは、1884年(明治17年) 福島家の初代市蔵氏が創業。その後2代を経て、関東大震災後、小高家の初代・政吉が継承する


小高登志略歴
1932年5月22日生まれ。1957年、慶応義塾大学法学部卒業。同年「神田まつや」入店。
その後、手打ちそばの研究会であった「蕎風会」にて手打ちそばの技法を学び今日に至る。「売る身は買う身」常にお客の立場に立って商いをすることを信条にしている


小高孝之(おだか・たかゆき)略歴
蕎麦職人。神田まつやの六代目。血液型O型。1965年6月、東京都で生まれる。千代田出身。中学時代に既に蕎麦職人になることを決意する。明治学院大学を卒業後、「神田まつや」にて修業を開始する。江戸の味『江戸の手打ち』を伝えることを信条としている
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村田製作所

村田製作所の歴代社長


初代:村田昭(創業者)
2代:村田泰隆(昭の長男)
3代:村田恒夫(昭の三男)


■株式会社村田製作所は、京都府長岡京市に本社を置く電子部品の製造ならびに販売をおこなう企業である

■電子部品専業メーカーとしては日本トップクラスに位置している

■村田製作所はセラミックコンデンサーや通信用部品で約4割の世界シェアを持つ

■セラミック材料や生産設備を内製しブラックボックスにして部品の小型・高性能化などで他社に大きく先行してきた


村田昭(むらた・あきら)経歴(プロフィール)
【1921年~2006年】村田製作所創業者。京都市生まれ。昭和8年、京都市立第一商業に入学するが、肺結核で中途退学。回復後、実業の清水焼を継ぐ。昭和19年、村田製作所を創業。戦後、セラミックコンデンサーで世界トップの総合部品メーカーに育て上げた。平成3年から会長。東証1部上場。平成5年、勲二等瑞宝章。著書に「私の履歴書」(日本経済新聞連載、平成5年7月)。84歳で没


村田恒夫(むらた・つねお)経歴(プロフィール)
日本の経営者。村田製作所3代目社長。1951年8月13日生まれ。京都府出身。1974年に同志社大学経済学部卒業。村田製作所に入社。ドイツ販売の取締役などを経て1989年取締役。常務取締役、専務取締役、取締副社長などを経て2007年に社長に就任

アイリスオーヤマ

アイリスオーヤマ歴代社長


初代:大山森佑
2代:大山健太郎(森佑の長男)


■アイリスオーヤマ株式会社は、家庭用プラスチック製品の製造と販売が主業務で宮城県仙台市青葉区に本社をおく企業である


■大阪府東大阪市で大山森佑が創業したプラスチック製品の町工場である大山ブロー工業社を、1964年に森佑の急逝に伴い長男の大山健太郎が19歳で引き継ぐ


■1971年に法人化して大山ブロー工業株式会社へ改組し、1989年に本拠地を政令指定都市移行間もない仙台市へ移転した


■大山健太郎(おおやま・けんたろう)経歴(プロフィール)
プラスチック成型加工のアイリスオーヤマ株式会社の2代目社長。1945年7月3日生まれ。大阪出身。高校卒業後、急逝した父の跡を継ぎ19歳で大山ブロー工業所代表に就任。その後、同社を法人化・事業転換しアイリスオーヤマに社名変更。同社を大きく成長させた

ヤマト運輸

ヤマト運輸歴代社長


初代:小倉康臣(1919年~1971年)
2代:小倉昌男(1971年~1987年)
3代:都築幹彦(1987年~1991年)
4代:宮内宏二(1991年~1997年)
5代:有富慶二(1997年~2003年)
6代:山崎篤(2003年~2005年)
7代:有富慶二(2005年~2006年)
8代:小倉康嗣(2006年~2007年)
9代:木川眞(2007年~2011年)
10代:山内雅喜(2011年~2015年)
11代:長尾裕(2015年~)


■ヤマト運輸株式会社は、日本の宅配便事業を行う企業である。ヤマトホールディングス株式会社の中核事業会社で、100%出資子会社

■2005年 ヤマト運輸株式会社のすべての事業を会社分割によりヤマト運輸分割準備会社へ分割し、純粋持株会社へ移行。ヤマト運輸株式会社は、ヤマトホールディングス株式会社へ。ヤマト運輸分割準備会社は、ヤマト運輸株式会社へそれぞれ商号変更した

■創業者の小倉康臣。1919年(大正8年)が、東京・銀座でトラック4台を保有する輸送会社を設立したのがはじまり。戦前には近距離路線の輸送で成功し、「日本一のトラック運送会社」といわれた


■社訓1931年12月創業者の小倉康臣が制定
一、ヤマトは我なり
一、運送行為は委託者の意思の延長と知るべし
一、思想を堅実に礼節を重んずべし


■経営理念
ヤマトグループは、社会的インフラとしての宅急便ネットワークの高度化、より便利で快適な生活関連サービスの創造、革新的な物流システムの開発を通じて、豊かな社会の実現に貢献します

任天堂株式会社

任天堂歴代社長


初代:山内房治郎(1889~1929年)
2代:山内積良(1929~1949年) 
3代:山内溥(1949~2002年)
4代:岩田聡(2002~2015年)※胆管腫瘍のため55歳で死去
5代:君島達己(2015年~ )


山内房治郎(やまうち・ふさじろう)経歴(プロフィール)
【1859年~1940年】日本の実業家・工芸家。現・任天堂の創業者。1889年9月23日に、「京都市下京区正面通り大橋西入る」の地にあった空き家を買い取り、その地に「任天堂骨牌」(山内房治郎商店)を創業。自らの工芸家としての腕を活用し花札の製造販売を始め、今日の世界的コンピューターゲーム企業「任天堂」の基礎を築いた


山内積良(やまうち・せきりょう)経歴(プロフィール)
【1883年~1949年】山内房治郎商店2代店主。旧姓は金田。初代の山内房治郎が男児に恵まれなかったので、婿養子になった


山内溥(やまうち・ひろし)経歴(プロフィール)
【1927年~2013年】任天堂創業家出身で3代目社長。本名は山内博、50歳のときに「溥」へと改名する。京都市生まれ。早稲田大学法学部に進学するが、2代目社長の祖父の急死によって、状況は一変。1949年、大学を中退し、22歳の若さでトランプ・カルタメーカーの3代目社長に就任した。山内はゲームウォッチでヒットを飛ばすと、さらに家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」を発売。これまでにみたことのないゲーム機は市場で熱狂的に迎えられ、ソフトと同時に爆発的に売り上げを伸ばした。その後もゲームボーイ、スーパーファミコンとハード機を次々と投入。任天堂は日本だけではなく、世界的なテレビゲームメーカーへと成長を遂げた。2002年5月に山内は引退し、3代続いた一族経営を断ち切った


岩田聡(いわた・さとる)経歴(プロフィール)
【1959年~2015年】任天堂4代目社長。1959年12月6日生まれ。北海道札幌市出身。東京工業大学工学部卒業。 ハル研究所入社。 ハル研究所社長を経て、任天堂に。2002年に任天堂代表取締役社長。2013年に任天堂オブアメリカ取締役会長(CEO)兼務

オリエンタルランド

オリエンタルランド歴代社長


川﨑千春(創業者・初代社長・初代会長)
高橋政知(2代目社長・2代目会長)
森光明(3代目社長)
加藤康三(4代目社長・3代目会長)
加賀見俊夫(5代目社長、4代目会長)
福島祥郎(6代目社長)
上西京一郎(7代目社長)


■株式会社オリエンタルランドは、米国のウォルト・ディズニー・カンパニーとライセンス契約により東京ディズニーランド(TDL)、東京ディズニーシー(TDS)を中心とする東京ディズニーリゾート(TDR)を経営・運営する事業持株会社の基幹企業である


■川﨑千春(かわさき・ちはる)略歴
【1903年~1991年】日本の実業家。オリエンタルランド初代社長。京成電鉄第5代社長。京成電鉄で21年間トップの座に君臨し、京成グループの発展に貢献。ディズニーパークの日本誘致を発案した人物でもあり、東京ディズニーランドの建設計画においても中心となった一人。1903年4月5日生まれ。東京帝国大学経済学部卒業。創立されたばかりの川崎信託(現・三菱UFJ信託銀行)入社。帝都タクシー(現・帝都自動車交通)に転じ、その後1940年1月、当時の京成電気軌道に会計課長として入社した


■加賀見俊夫(かがみ・としお)略歴
東京ディズニーランドを運営するオリエンタルランドの社長を歴任。1936年1月5日、東京都江東区生まれ。開成中学校・高等学校を卒業後、慶應義塾大学法学部政治学科に進学。大学卒業後は京成電鉄に入社。長らく京成電鉄とオリエンタルランドの仕事を兼務した後、京成電鉄・三井不動産・朝日土地興業の合弁会社オリエンタルランドに移籍。「東京ディズニーランド」の開業や「東京ディズニーリゾート」の誕生に携わる

サントリー

サントリー歴代社長


初代:鳥井信治郎(1921年~1961年)
2代:佐治敬三(1961年~1990年)
3代:鳥井信一郎(1990年~2001年)
4代:佐治信忠(2001年~2014年)
5代:新浪剛史(2014年~)
6代:鳥井信宏(就任予定)信治郎のひ孫


■鳥井信治郎(サントリー創業者)家系図
http://bit.ly/1vMLgDe

■寿屋→サントリーに商号変更

■鳥井信治郎(とりい・しんじろう)略歴
1879年~1962年(明治12年~昭和37年)サントリー創業者。大阪に米穀商の次男として生まれる。明治25年、薬問屋の小西儀助商店に丁稚奉公。明治32年、独立して鳥井商店を開業し、葡萄酒販売を開始。明治39年、商号を寿屋洋酒店に改称。翌年に赤玉ポートワインを発売して急成長。昭和4年、日本初のウイスキー「サントリー白札」を発売。昭和15年、「サントリー・オールド」が誕生。その後のトリスブームなどで、日本に洋酒文化を開花させる。83歳で没

■佐治敬三(さじ・けいぞう)略歴
【1919年~1999年】日本の実業家。サントリー2代目社長、大阪商工会議所会頭などを歴任。勲一等瑞宝章を受章。大阪生まれ。大阪帝国大学理学部卒

■佐治信忠(さじ・のぶただ)略歴
サントリー4代目社長。1945年11月25日生まれ。兵庫県出身。慶応義塾大学卒業。米カリフォルニア大学大学院修了。ソニー商事を経て1974年サントリーに入社。1989年副社長。2001年社長に就任。2002年より会長を兼務。2014年10月以降は社長職を新浪剛史に譲り、会長職に専念。4代続いた同族経営に終止符を打った

■新浪剛史(にいなみ・たけし)略歴
株式会社ローソン代表取締役社長(CEO)兼ローソン大学学長。1959年(昭和34年)1月30日神奈川県横浜市に生まれる。慶應義塾大学経済学部卒業。三菱商事株式会社に入社。ハーバード大学経営大学院修了(MBA取得)。三菱商事株式会社生活産業流通企画部外食事業チームリーダー就任。同社ローソンプロジェクト統括室長兼外食事業室長就任。2002年 株式会社ローソン顧問就任。2005年同社代表取締役社長兼CEO就任

エーザイ

エーザイ歴代社長


初代:内藤菊治(創業者)
2代:内藤裕次(菊治の息子)
3代:内藤晴夫(菊治の孫。裕次の長男)


■昭和11年に内藤豊次が田辺元三郎商店に在籍のまま、新薬研究開発を目的とした「合資会社桜ヶ岡研究所」を設立した。これがエーザイの始まりである


■内藤豊次(ないとう・とよじ)経歴(プロフィール)
【1889年~1978年】エーザイ創業者。福井県丹生郡糸生村(現・越前町)出身。東京の田辺元三郎商店(現・田辺三菱製薬)に入社。1936年、田辺元三郎商店に在籍のまま、新薬研究開発を目的とした「合資会社桜ヶ岡研究所」を設立。日本で初めてのビタミンE製剤「ユベラ」を商品化。1941年、軍に納入する製品をつくる目的で「日本衛材株式会社」を埼玉県児玉郡本庄町(現・本庄市)に創業。田辺元三郎商店を退職し1944年、桜ヶ岡研究所と日本衛材を合併し、日本衛材株式会社を設立する。1955年にエーザイ株式会社に社名変更した。


■内藤裕次経歴(プロフィール)
日本の経営者。エーザイの2代目社長。東京帝国大学在学中に学徒出陣。茨城県の谷田部航空隊で特攻隊員として訓練を受け、鹿児島県の鹿屋海軍航空隊に配属された。いわるゆ『零戦ファイター』だった。戦後、父親の片腕となり、零細な町工場だったエーザイを国際企業に育てあげた


■エーザイ株式会社
設立年月日:1941年(昭和16年)12月6日
本社:東京都文京区小石川4-6-10
従業員数(連結):10,419人
売上(連結):600,363百万円


■研究所
筑波研究所(茨城県)、川島研究所(岐阜県)、株式会社カン研究所(兵庫県)、エーザイ・インク アンドーバー研究所(米国)、モルフォテック・インク(米国)、H3 バイオメディシン・インク(米国)、エーザイ・リミテッド ハットフィールド研究所(英国)ほか


■生産拠点
川島工場(岐阜県)、鹿島事業所(茨城県)、サンノーバ株式会社(群馬県)、エーザイ・インク ノースカロライナ工場(米国)、エーザイ・マニュファクチャリング・リミテッド(英国)、衛材(中国)薬業有限公司 蘇州工場(中国)、エーザイ・ ファーマテクノロジー・アンド・マニュファクチャリング・プライベート・リミテッド(インド)ほか

韓進グループ

韓進グループ歴代社長


初代:趙重勲(チョ・ジュンフン)韓進グループの創業者
2代:趙亮鎬(チョ・ヤンホ)。趙重勲の長男


■韓進(ハンジン)グループは、大韓民国のコングロマリット(財閥、チェボル)の一つ。持株会社の下に、海運会社の韓進海運(ハンジン・シッピング)、航空会社の大韓航空、陸運会社の韓進交通などの会社があり、物流を中心に事業を展開している


■趙重勲(チョ・ジュンフン)略歴・経歴(プロフィール)
【1920年~2002年】韓進グループの創業者。1920年にソウル市西大門区渼芹洞(ソデムング・ミグンドン)で8人兄弟の次男として生まれた。25歳の1945年、仁川市海岸洞(ヘアンドン)に輸送会社の韓進商社の看板を掲げ、輸送事業一本で歩んできた。1950~1960年代、米軍需物資などの輸送で飛躍的な成長を遂げ、現在は大韓(デハン)航空、韓進海運、㈱韓進など21の系列会社からなる資産24兆ウォンを誇る財界5位(公企業除外)の大企業グループに成長している。2002年に死去。享年82


■趙亮鎬(チョ・ヤンホ)略歴・経歴(プロフィール)
韓進(ハンジン)グループ会長。2018年平昌(ピョンチャン)冬季オリンピック(五輪)組織委員会の新しい組織委員長。大韓航空社長、韓進グループ副会長、大韓航空会長などを経て2003年韓進グループ会長に就任した。65歳(2014年12月10日現在)


■趙亮鎬の長女・趙顕娥(チョ・ヒョナ)は大韓航空副社長

ドトールコーヒー

ドトールコーヒー歴代社長


初代:鳥羽博道(創業者)
2代:鳥羽豊( ~2017年4月)
3代:星野正則(2017年4月~ )


■鳥羽博道(ドトールコーヒー創業者)家系図
http://bit.ly/K20z8N

■株式会社ドトールコーヒー
設立年月:1962年4月
資本金:111億41百万円
本社:東京都渋谷区神南一丁目10番1号
主な事業内容:①コーヒーの焙煎加工並びに販売 ②食品の仕入れ、販売及び輸出入 ③飲食店の経営 ④フランチャイズチェーンシステムによる飲食店の募集及び加盟店の指導

■鳥羽博道(とりば・ひろみち)略歴
日本の実業家。ドトールコーヒー創業者、名誉会長。1937年に埼玉県深谷市で生まれた。深谷商業高校中退。58年にブラジルへ単身渡航し、コーヒー農園等で3年間働いたあと帰国。コーヒー会社に勤務するが、62年に独立して、ドトールコーヒーを設立した

鳥羽豊(とりば・ゆたか)略歴
日本の経営者。1964年3月26日生まれ。駒澤大学経営学部卒業。ドトールコーヒー入社。ドトールコーヒー海外事業部長、ドトールコーヒーDCS統括本部長を経て、2005年、同社の代表取締役社長に就任。2007年、㈱ドトール・日レスホールディングス代表取締役社長に就任

日清食品

日清食品歴代社長

初代:安藤百福(創業者)
2代:安藤宏寿(百福の長男)
3代:安藤百福
4代:安藤宏基(百福の次男。日清食品ホールディングス社長・CEO)


■安藤百福(日清食品創業家)家系図
http://bit.ly/1cmylxM

■昭和56年、社長の座を長男の宏寿(ひろとし)に譲り、自らは会長に退くが、その2年後の昭和58年、宏寿が経営方針の相違から社長を退任したため、百福が会長兼任で再び社長に復帰した。昭和60年6月に次男の宏基(こうき)が社長に就任し再び会長専任となった

■2008年10月1日、日清食品株式会社が持株会社制移行に伴い「日清食品ホールディングス株式会社」へ社名変更。グループ会社として新会社「日清食品株式会社」設立

■安藤百福(あんどう・ももふく)経歴(プロフィール)
【1910年~2007年】日清食品創業者。台湾・台南県生まれ。立命館大学専門部卒。昭和23年中交総社を設立して社長に就任。このあと、信用組合理事長等を兼任。昭和33年即席ラーメンの発売を機に日清食品に社名変更。昭和56年から会長。東証一部上場。著書に「自伝・奇想天外の発想」

■安藤宏基(あんどう・こうき)経歴(プロフィール)
日清食品ホールディングス株式会社代表取締役社長(CEO)を務める。慶應義塾評議員。創業者である安藤百福の次男。1947年10月7日生まれ。大阪出身。慶應義塾大学商学部卒業後、米国コロンビア大学を経て日清食品に入社。1985年6月、父が改めて会長に退くと37歳の若さで社長に就任。「打倒カップヌードル」をスローガンに社内活性化に取り組み、ブランド・マネージャー制度による競争構造を導入するなど、大胆な社内改革を数多く行った

武田薬品工業

武田薬品工業歴代社長

初代:5代目武田長兵衛(1925年~1943年)
2代:6代目武田長兵衛(1943年~1974年)
3代:小西新兵衛(1974年~1981年)
4代:鈴木育四郎(1981年~1986年)
5代:梅本純正(1986年~1991年)
6代:森田桂(1991年~1993年)
7代:武田國男(1993年~2003年)
8代:長谷川閑史(2003年~2014年)
9代:クリストフ・ウェバー(2014年~)


■1781年に初代近江屋長兵衞が、大阪・道修町(どしょうまち)で薬種商・近江屋を開業したのが、現在の武田薬品の始まりである。やがて武田姓を名乗り、子孫は武田長兵衛を世襲する

■6代目武田長兵衛(たけだ・ちょうべい)経歴(プロフィール)
1905年~1980年(明治38年~昭和55年)武田薬品工業2代目社長。5代目武田長兵衛(初代社長)の長男として大阪市船場道修町に生まれる。幼名鋭太郎。慶応義塾高等部卒業と同時に㈱武田長兵衛商店に入社。昭和18年社長に就任し、6代目武田長兵衛を襲名。同年武田薬品工業㈱に社名変更。昭和49年会長。75歳で没

■武田國男(たけだ・くにお)経歴(プロフィール)
武田薬品工業7代目社長。日本経済団体連合会副会長、関西経済連合会副会長を歴任。1940年1月15日、神戸市の住吉村で生まれた。甲南大学経済学部経済学科卒業、武田薬品工業株式会社入社。1993年同社の社長に就任した

■クリストフ・ウェバー経歴(プロフィール)
フランス人で、ベルギーのグラクソ・スミスクライン(GSK)ワクチン社社長兼ジェネラル・マネージャーを経て、2014年武田薬品に。6月に社長に就任。日本には妻と2人の子供と一緒に住む。趣味は登山

株式会社経済界

株式会社経済界歴代社長

初代:佐藤正忠(創業者)
2代:佐藤有美(正忠の長女。2001年10月に社長に就任)


■株式会社経済界は、創業者である佐藤正忠によって1964年に設立されたフェイス出版を前身とし、「企業は人で決まる」という編集方針の下、経営者の人物像に鋭く迫る雑誌『経済界』を発行、主要な読者層である企業経営者、経営管理層が真に求める情報を発信している

■株式会社経済界
設立:昭和39年4月
資本金:9500万円
事業内容:雑誌「経済界」発行、書籍出版、広告等代理店業務、情報仲介斡旋(人材・M&Aほか)、コンサルティング、イベントの企画運営
所在地:東京都港区虎ノ門1-17-1 虎ノ門5森ビル4階


佐藤正忠(さとう・せいちゅう)略歴
【1928年~2013年】経済界(出版社)の創業者。昭和3年秋田県生まれ。小学校代用教員を経て、明治学院大学に学ぶ。在学中、アルバイト易者の体験を著した『学生易者』でマスコミ界にデビュー。昭和39年フェイス出版社(経済界の前身)を設立。『経済界』主幹、経済評論家として活躍した

オリンパス

オリンパス歴代社長

初代:川上謙三郎(名目上の社長)
2代:山下長(創業者)
3代:茶谷保三郎
4代:神田正吉
5代:高橋冏
6代:中野撤夫
7代:内藤隆福
8代:神部健
9代:北村茂男
10代:下山敏郎
11代:岸本正壽
12代:菊川剛
13代:マイケル・ウッドフォード
14代:菊川剛
15代:高山修一


■オリンパス株式会社 は、日本の光学機器・電子機器メーカーである

■本社は東京都新宿区西新宿

■オリンパスの起源は1919年(大正8年) 山下長が高千穂製作所を創業し、顕微鏡や体温計など理化学計器類の製造・販売をしたことに始まる

■山下長(やました・たけし)経歴(プロフィール)
1889年~1959年(明治22年~昭和34年)現・オリンパスの創業者。1889年4月8日、鹿児島県生まれ。大正4年、東京帝国大学法学部法律学科卒業。弁護士を開業後、大正7年、貿易会社「常盤商会」に入社。砂糖で利益を上げた報奨として常盤商会から出資を受け、顕微鏡の国産化を目指す「株式会社高千穂製作所」を設立。この会社が現・オリンパスである。70歳で没

■岸本正壽(きしもと・まさとし)経歴(プロフィール)
1935年~(昭和10年~)12月12日生まれ。鳥取県出身。オリンパス光学工業(現・オリンパス)元社長。昭和33年3月早稲田大学法学部卒業、昭和33年4月オリンパス光学工業㈱(現オリンパス㈱)入社。平成5年、社長。平成13年、会長。平成19年5月、春の叙勲で旭日中綬章を受章

■菊川剛(きくかわ・つよし)経歴(プロフィール)
1941年~(昭和16年~)オリンパス元社長。愛媛県西条市生まれ。1963年、慶応大学法学部卒。1964年、オリンパス光学工業入社。1993年取締役、1998年、常務。2001年、社長。2011年4月に社長を退任し代表権のある会長に就任。後任の社長にはイギリス人のマイケル・ウッドフォードを抜擢した。しかし半年後の10月16日にウッドフォードを解任し、自身が社長兼任となった。この人事にともなう混乱や株価低迷の責任を取り、10日後の10月26日に退任と代表権を返上した。11月8日には、1990年代以来有価証券取引で生じた損失の隠蔽に関与してきたことが明らかとなった

不二家

不二家歴代社長

初代:藤井林右衛門(1930~1948年)
2代:藤井誠司(1948~1969年)
3代:藤井総四郎(1969~1985年)
4代:藤井和郎(1985~1989年)
5代:藤井俊一(1989~1995年)
6代:藤井林太郎(1995~2007年)
7代:櫻井康文(2007~ )


■不二家の歴史は1910年、藤井林右衛門(25歳)が横浜市元町2丁目86番地に洋菓子店(元町店)を開いたことに始まる

■不二家の屋号は、藤井家の「藤」と「この世に二つとない」を意味する「不二獄」(富士山)をかけて命名された

■7代目社長の櫻井康文は静岡大学農学部を卒業し、1972年に不二家へ入社。2007年に社長に就任した。不二家の創業者一族以外からの初めての社長である。同社のロングセラー菓子商品「カントリーマアム」の生みの親でもある

■不二家は、洋菓子や菓子類の製造・販売を得意とする老舗の食品メーカーで、洋菓子店やレストランなどをフランチャイズ展開しているが、今は山崎製パンの子会社となっている

インターメスティック

インターメスティック歴代社長


初代:上野照博(創業者)
2代:上野剛史(照博の息子)
3代:上野照博(2015年1月1日に12年以来、3年ぶりに社長に復帰)


■株式会社インターメスティック(本社:東京都港区北青山)はフランチャイザー(本部)として眼鏡の企画販売を行い、子会社の株式会社ゾフおよび加盟店が小売店「Zoff」の店舗展開を行っている


■株式会社インターメスティック
設立:1993年5月20日
所在地:東京都港区北青山3-6-1オーク表参道6階
売上高:連結売上高は前の期比11%増の157億円(2013年12月期)
事業内容:眼鏡レンズ、眼鏡フレーム、サングラスの製造販売及び輸出入。眼鏡・コンタクトレンズのケース、クリーナーその他の眼鏡・コンタクトレンズ付属品の製造販売及び輸出入

山崎製パン

山崎製パン歴代社長


初代:飯島藤十郎(1948年~1977年)
2代:飯島一郎(1977年~1979年)
3代:飯島延浩(1979年~)


■昭和23年3月 創業者飯島藤十郎により千葉県市川市に山崎製パン所を開業、パンの委託加工を開始

■1948年(昭和23年)、藤十郎は京成国府台駅近くで山崎製パンをはじめた。当時の日本は食糧管理制度の下、パンの原料となる小麦の流通は政府によって統制されていた。藤十郎は東台開拓農協で責任者としてパンの製造をしていたため、飯島名義では開業許可が下りなかった。そこで、妹の山崎裕代の夫・山崎要太郎の名義で許可を取った。山崎の姓から「山崎製パン」と名付けられた

■山崎製パン株式会社(平成25年12月31日現在)
本社:東京都千代田区岩本町3-10-1
設立:昭和和23年6月21日
資本金:110億1,414万3千円
売上高:9,682億円(連結)、6,595億円(単体)
従業員数:17,521人
販売店舗:約105,000店舗
主な事業内容:パン、和・洋菓子、調理パン・米飯類の製造・販売、製菓・米菓の販売、ベーカリーの経営、コンビニエンスストア事業


飯島藤十郎(いいじま・とうじゅうろう)略歴
【1910年~1989年】山崎製パン創業者。東京府北多摩郡三鷹村に生まれる。現・東京学芸大学卒。出身校の後身である東京学芸大学創立20周年に会館建設費を寄付し、同学に20周年記念飯島会館がある


飯島一郎(いいじま・いちろう)略歴
【1916年~2007年】日本の経営者。山崎製パン第2代社長。1916年11月14日、東京府北多摩郡三鷹村生まれ。後の東京教育大学卒業。母校の東京第二師範学校教員となる。1948年兄が創業した山崎製パンに参画し、取締役となる。1977年社長に就任する。日清製粉をバックにして兄との対立を深めるが最終的には敗北し、1979年子会社のヤマザキナビスコ社長に追いやられた


飯島延浩(いいじま・のぶひろ)略歴
日本の実業家。山崎製パン第3代社長。東ハト代表取締役会長、不二家取締役相談役などを歴任。父は山崎製パン創業者の飯島藤十郎。1941年7月28日千葉県市川市生まれ。一橋大学経済学部卒業。1964年4月山崎製パンに入社。1966年ロンドンサウスバンク大学卒業。1979年3月代表取締役社長に就任


関連サイト
飯島藤十郎語録http://bit.ly/1rxN8S4
飯島藤十郎(家系図)http://bit.ly/1mzc0Et
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